こんにちわ!七草粥の由来を知ってるようで知らない人が多いと思います。
七草がゆ・七草粥とは、人日の節句(じんじつのせっく)1月7日の朝に食べられている日本の行事食。
春の七草や餅などを具材とする塩味の粥で、その一年の無病息災を願って1月7日に食べる、これは正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休めるためとも言われています。
▲七草粥(イメージ)
この行事は平安時代には行われていたが、室町時代の汁物の原型ともされています。
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七草の由来の説話(親孝行の息子)
唐の楚国(公元前1115年ー公元前223年)に、大しうという孝行者がいました。
両親はもう百歳を越し体がままならず、そんな両親を嘆き悲しんだ 大しうは、山に入って21日間もの苦行を行い祈願していました。
「私に老いを移してもいいのでどうか両親を若返らせてください」
そこに天上の帝釈天からお告げがあった。
「そなたの願いを聞き入れた。須弥山(しゅみせん)の南に齢8000年の白鵞鳥(はくがちょう)がいるが、この秘術を主(ぬし)ら親子に授ける」。
▲イメージ
ついては、
毎年春のはじめに七種の草を食べること。
1月6日までに7種類の草を集めておくこと。
次の時刻に柳で作った器に種を載せ、玉椿の枝で叩くこと。
●酉の刻から芹(せり)
●戌の刻から薺(なずな)
●亥の刻から御形(おぎょう)
●子の刻から田平子(たびらこ)→キク科の2年草。本州以西各地の水田や湿で、冬から早春に普通に見られる。高さ役20cm、全体に無毛。葉はロゼット状に根生、長さ6cmぐらいの長楕円形で羽状に深裂し頂片が最も大きい。茎はロゼットの中央から数本ななめに立ち、まばらに分技して先に舌状花だけから成る小さな黄色の花頭をつける。若葉を茹でて食べる。春の七草のホトケノザは本種とされる。漢名、稲槎菜。こおにたらびこ。かわらけな。《季・新年》
●丑の刻から仏座(ざぶつ)
●寅の刻から菘(すずな)
●卯の刻から(せいはく)
▲七草
辰の刻からこれらの種を合わせ、東から清水を汲んできて、これらを煮て食べること。
一口で10歳、七口で70歳若返るので、ついには8000年生きることができよう。
大しうは、この教えを繰り返し暗唱すると、この日は正月であったので、すぐ山を降りて7種類の草を集め、6日の夕方から教えの通り、不思議な心待ちで夜通し草を叩きました。
朝になり、東から汲んだ水で炊いて両親に食べさせたところ、たちまち若返ったのは言うまでもない。
これが世に伝わり、噂を聞いた当時の帝は、この親孝行に感動して位を譲ったといいます。
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日本・関東地方の例を引用
1月6日の夜、あらかじめ用意した芹、薺、ゴ(オ)ギョウ、繁縷(はこべら)、仏の座、菘、蘿蔔(すずしろ)の「七草」をまな板の上に載せ、以下の歌を唄いながらシャモジやお玉杓子、包丁の背などで叩いて細かくする。
◇七草なずな唐土の鳥が 日本の国に渡らぬ先にストトントン◇
明けて7日の朝に粥を炊き、叩いた七草と塩を入れて七草かゆにします。
そして朝食として食べます。
七草粥は新年の季語とされる。
現在では、ほとんどが七草セットした商品が、多くの八百屋・スーパーなどで販売されています。
この七種の節句とは、七草がゆを食べる行事を言う。
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日本・地方での差異
七草粥は七草すべてが使用されるわけではなく、地方には地方の食材があるので異なると思います。
気候や降雪の関係で七草が摘めない東北地方では、七草を使わない粥を炊くそうです。
山形県の村山市周辺ではゴボウ、人参、蒟蒻、芋茎(ずいき)、油揚げなどを入れた納豆汁、七草汁を1月7日の朝食として食べる。
最上川流域では1月7日に新米の握り飯を12個作り、箕の上に乗せて柳の箸を刺して「おみ玉」として飾る。
その後で握り飯を崩して煮込み、野菜、昆布、干し柿、栗を入れたものを「七草粥」として食する。
また、青森県や秋田県では1月7日に行事を行う地域は少数で、その代わり1月16日の小正月には、けの汁という根菜を大量に炊き込んだ精進料理を味わって祝います。
気候的に七草が入手できる地帯でも七草ではなく、あり合わせの青菜、さらに根菜や油揚げなど大豆製品をも含めて「7種」取り揃える場合や、九州南部のように鶏肉を加える地方もあります。
調理法も白粥のみではなく、鰹節で出汁を取り醤油や味噌で味付けして「雑炊」にする地方や、四国の瀬戸内海沿岸のように「和え物」「お浸し」で七草を食べる地方、九州北部のように汁物に加工するなど、全国でバリエーションは豊富のようです。
まとめ
日本のこうした伝統文化は若夫婦も新婚夫婦も先輩夫婦に教えてもらって子供らに伝えて行って欲しいと思っています。